すごい響きですよね。
「産後クライシス」
言葉のインパクトがすごい。
出産後2年以内に夫婦間が不仲になってしまう現象のことをいう造語だそうです。
いやほんとまさによく思いついたなってくらい、ぴったりな言葉だよなと。
そして我が家もけっこう最近まで、いわゆる「産後クライシス」でした。
我が家というより、一方的にわたしがそう感じてただけなのかもしれないけれど。
産後は、信じられないくらい情緒不安定だった。
出産した翌日からわたしのメンタルはどこかおかしくて、入院中、わけもわからずただただ泣いていました。
病院の食堂で朝食を食べているだけなのに、なぜか止まらない涙。
それは育児への不安なのか、過度の寝不足からなのか、とにかく退院する日までずっとそんな感じでした。
その頃も含め、CRが三歳になるくらいまでは、土も相当な激務。
平日は夜中帰り、土日は休日出勤、さらには長期出張なんかもありほとんど家にはいませんでした。
いや、本当はいた時間もあるんだろうけど、「家にもっといてほしい。」という思いが強かったのかな。
初めての育児、わが子には自分しかいないのに、だけど母親なのに自分は右も左も分からない。
ただでさえ孤独感がひどくて、誰かに相談したい、聞いてほしいという思いがいっぱいで。
CRに対しても、そりゃ可愛いけれど、でも心の底からそう思えてないないような気すらして。
子どもが可愛くてひと時も離れたくないというママさんや、色鮮やかで見た目もかわいいご飯を作るママさんが、まぶしくて仕方ない。
自分は母親に向いてないのかもしれない、と悩む日々。
昼寝もせず、ずーっと泣いているわが子を抱きながら、部屋に茫然と立ちつくしていた、そんな記憶ばかり残ってます。
けれどそれを土に話す時間もなく、自分の中に育児の悩みやら不満やらをため込んでいるうちに、だんだんと土への気持ちが冷たくなっていくのを感じました。
本格化する産後クライシスとやら。
そうなってくると、もう土の行動の何もかもが気に入らない。
調味料のふたをちゃんと閉めない。
CRの着替えも季節外れのチョイスをする。(真夏なのにタイツとかね。。
トイレのドアを閉めない。便座あげっぱな。
もう全てにイライラ。
そして土に向かって出る言葉の一つ一つが、すべてとげとげしくなる。
「自分のペースで生活できてほんとに羨ましいわ。」
「子どもと一緒に過ごせないような仕事、続けてて後悔しないの?」
「転職してくれないなら、この先一緒にいれない。」
わたしが仕事復帰してからも、
「なんでいつも仕事休むのはわたしなの?」
「わたしは定時で上がらなきゃいけないのに、好きなだけ残業できて羨ましいわ。」
「仕事帰りにふらっと飲みに行けるんだから、男っていいよね。」
そして最終的には。
「もうさ、終わってるじゃん、うちら。」
「もう一緒にいたいと思えない。」
もはや末期。
声を荒げて喧嘩することもたくさんで。
口もききたくない、顔も見たくない、そんな風にしか思えない日々が続きました。
きっと土も家に帰るのしんどくなっていたに違いない。可哀そうに。(他人事か。。
けれど今になって思い返すと、あの頃の情緒不安定さはほんとに尋常じゃなかったんです。
時が経つと、環境が変わり、心に少しずつ余裕ができました。
時が経ち、CRが成長して、
お互いたくさんコミュニケーションが取れるようになり、
やっと自分の心に余裕を持てるようになって、
少しずつ、穏やかな気持ちで過ごせるようになりました。
こうなるまで三年はかかったんじゃなかろうか。。。
CRの保育園が変わり、子どもが楽しく日中過ごしている姿をたくさん見ることができるようになったのも、大きいです。
先生たちに育児の悩みを気軽に相談したりできるのも心強い。
それと、土の激務が少しだけ軽減されたのもあると思います。
「時間」が経つことでいろいろな環境が変わり、私の心も落ち着いてきて、
少し余裕ができたこと。これがすべてなんだろうなぁきっと。。
心に余裕ができると、土がCRを連れて出かけてくれたり、稀にお迎えを代わってくれたり、茶碗を洗ってくれたりする、日常の中のありがたいことに気付けるようになりました。
そして日々癒しをくれるCRと愛犬の存在に心から感謝。
愛犬ジェラシーは、日々CRに嫉妬しながらも、ずっと寄り添ってくれる貴重な存在です。
お散歩に行った直後なのに、この不満を訴える表情w
今、思い返せば、きっとあれは「産後クライシス」。
最近ふっと、あの頃の自分はどうかしてたんだなぁと思うことが多々あり、
心に余裕がないと、キャパの狭いわたしはすぐにクライシスに陥るので、こうやって書き留めておいた次第です。
それにしても、言葉のインパクト、すんごいな。「産後クライシス」
個人的に「デフレスパイラル」を凌ぐ勢いです。